たこ焼きから学ぶ人生論
おれが足繁く通っている究極に美味いたこ焼き屋がありまして
そこのたこ焼きをまだ食べたことがないと言う友人を
「素敵なところへ連れていってあげるよ」
と誘ったらセコム並に警戒心をむき出しにされてしまったので
そのまま拉致してたこ焼き屋へ連れていったときのことです。
友人が記念すべき一口目を食べた後、感想を聞いてみると。
おれ「どう?」
友人「熱くて食べれない」
猫舌だったらしい。
すると友人はたこ焼きを一つずつぱかぱか開き始めた。
おれ「何してるの?」
友人「冷ましてる」
それから数分後に美味しいという感想を聞けました。
そこで気になったんですが。
たこ焼きを冷ますという行為はどうなんだろうかと。
たこ焼きの美味さと熱さって比例してると思うんです。
熱ければ熱いほど美味しさが増して
冷めれば冷めるほど美味しさが減っていくみたいな感じで。
なのでたぶんたこ焼きをこよなく愛してるって人ほど
おれみたいな違和感を感じるんじゃないかなと。
もしたこ焼き教なる宗教が存在したとして
たこ焼きを冷ましてるなんてところを信者たちに見つかったら
友人は今頃どうなっていたか分かりませんよ。
たこ焼きの熱さっていうのは言わばダメージジーンズのダメージ部分なわけですよ。
それを冷まして無くしてしまうということは
ダメージ部分に可愛らしいくまさんワッペンを縫い付けちゃうようなもんなんですよ!!
↑頭に浮かんでから10秒くらいは絶妙な例えだと思ってました。
たこ焼きとは人生のようなものである。
熱いからといって冷ましてしまえば真の美味しさには辿り着けない。
何かを得ようとしたとき少しでも妥協してしまえばそれだけのものしか得られない。
舌を火傷してでも
人より困難な道を歩んででも
その人にしか見ることのできない景色が
きっと 、あるのだから。
↑名言っぽいことを言えば上手いこと締められると思ってた人。