『ぼぎわんが、来る』を読んで思ったこと。
『ぼぎわんが、来る』
イクメンパパと愉快な仲間達が化け物に襲われる。
以上、シンプルさを追求するがあまり。
この物語を構成するありとあらゆる魅力を削ぎ落とす結果となった0点のあらすじである。
化け物…冠するその名を、ぼぎわん。
こいつの能力がとにかくやばい。
自分と自分の知人の発した言葉を声色もそのままに使うことができる。
例えば、あなたが今。
「MEGUMIのおっぱいは至高」
と発言したとする。
それは同時に、ぼぎわんのボキャブラ辞典に同様のワードが追加されたことになるんですよ。
もう、逃げることは許されません。
重要な社内会議に参加している最中もお構いなく。
「MEGUMIのおっぱいは至高」
とあなたのボイスでぶち込んでくることにより、場の空気は瞬く間に凍りつくことだろう。
さらには、自分の知り合いの言葉であってもそう。
作中では味方の霊能力者の声を偽ることで、イクメンパパ代表こと秀樹を騙し討ちにかかる。
屈指の背筋ぞくっとポイントである。
が、ここでどうしても納得いかないことがありまして。
それは、ぼぎわんの不可解な戦略。
ぼぎわんは味方の霊能力者であることを装い、秀樹にいくつか偽の指示を出し実行させます。
①家中の包丁をしまわせる。
→ぼぎわんは包丁が苦手だから。
なるほど。
②家中の鏡を割らせる。
→ぼぎわんは鏡が苦手だから。
うんうん、分かる。
③玄関の前に塩水を入れた茶碗を並ばせる。
→逃げようとする秀樹を転ばせるため。
ここである。
①と②からは秀樹を確実にキルしようとする冷徹なまでの計画性を感じるからこそ。
③の存在には異議を申し立てざるを得ないというもの。
どう考えてもいらないのである。
茶碗に躓いて転ぶってもうホームアローンの世界観。
勝利を確信している者の余裕なのだろうか。
仮にこれがジグソウだったら。
容赦なく中身を硫酸とかにして、たちまち恐ろしいゲームが始まっていたはずだ。
「罠を外すための鍵はこの内のどこかに沈んでいる。
さぁ命の輝きを見せてくれ、ゲームスタート」的な。
そもそも。
ぼぎわんも入ってくる時に邪魔だったんじゃないかと。
※映画では自分で思いっきり蹴っ飛ばしてました。
とまぁ、これだけ言っておきながら。
原作の秀樹は完全にずっこけていたので、結果オーライだったんですけどね。
それじゃあ、とりあえず歌っときましょう。
オムライスの国に~
行ってみたいな~
意味が分からないという方は映画版も合わせて観よう。
では。